院長ブログ
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患者さんの健康と尊厳を守る医療を実践します
皆さまこんにちは。院長の日浅芳一(ひあさよしかず)です。職員の方や一般の方々に徳島赤十字病院を少しでも身近に感じていただきたいと考え、「院長ブログ」をホームページに加えました。拙い文と思いますが多くの方が目を通して下さることを願っています。
徳島赤十字病院
院長 日浅 芳一

2018年11月01日 私の「食卓の情景」

池波正太郎は私の大好きな作家のひとりです。彼の代表作である「鬼平犯科帳」や「雲霧仁左衛門」は小説だけでなく、テレビドラマにもなり、釘付けになって観たものでした。彼はまた稀代の食道楽という別の一面も持っていました。「鬼平犯科帳」の中でも長谷川平蔵をはじめとする登場人物の食の風景が、実に美味しそうにいきいきと描かれています。その彼の食に関するエッセイを書き集めたものが「食卓の情景(新潮文庫)」です。食べもの自体のこともさることながら、食事に関わった家族との情感、旅した街道筋の情景、料理人の喜怒哀楽が食事と相俟って池波正太郎の世界へいざなってくれます。私にも時々ふと思い出す食卓に関する情景がいくつかあります。

この文を書いている10月下旬、私が育った農村では秋祭りの最中です。忙しい稲刈り、取入れが終わり、皆がホッとする頃になると、祭り太鼓の練習の音が聞こえはじめ、それが合図のように母や祖母がいそいそと甘酒やボウゼの姿ずしを作る準備にかかるのです。甘酒は白米に麹(こうじ)菌を混ぜてそれを毛布で包み、豆炭あんかを入れた布団で何日間か保温する手間暇のかかる麹米作りから始まります。祖母が時々心配そうに布団の中の麹米の出来具合を確かめていました。その後、大きなカメで何日間か発酵させます。私たち子どもは待ちきれず、「もう(飲んでも)いいんでない?」と母や祖母にせがんでみるものの、ふたの開封のお許しはなかなか出ませんでした。カメにたくさん作られた甘酒は飲みきれず、やがて酸っぱくなっていきます。ここからは祖父の出番です。祖父は多くは飲みませんでしたがお酒が好きでした。どぶろく作りにも精通していたようで残った甘酒から自家製のどぶろくを作って楽しんでいました。

ボウゼの姿ずしも家族の食の楽しみの一つでした。スーパーマーケットのなかった時代、鐘を鳴らしながら、何層もの箱に入れたボウゼを自転車に積み上げて行商人が売りに来ていました。母たちはこの魚を矯めつ眇めつ、鮮度がよく肉厚のものを選んでいました。よく洗ったボウゼに塩をして酢でしめます。今では考えられないほど大量に酢飯を作り、その酢飯をたっぷり抱えたボウゼが木箱に整然と並べられます。これもすぐに食べるのではなく、一晩か二晩おいて、ようやく食べさせてもらえます。「今年はよくできた」と満足気につぶやいていた母の顔が今でも目の奥に残っています。

母方の祖父は町の農協の組合長や町長を務めた"ハイカラ"な人でした。まだ幼稚園くらいだった私を徳島駅前までランチに連れ出してくれたことがありました。二人でバスに乗りましたが、その頃はとてつもなく遠くまで出かけた気がしたものでした。駅前のビルの二階に洋食屋があり、"お子様ランチ"らしきものを注文してくれました。いつも使い慣れている箸ではなく、フォークとナイフが出てきて目を丸くしていた私に、祖父は"ナイフは右手でフォークは左手でこんな具合に使うのだ"と身振り手振りで教えてくれました。小さな子供が上手く使えるはずもなく、モタモタしていると、「フォークは腹側を上に使ってもいいんだよ。アメリカ式だ」と教えてくれました。今思えば子供の自尊心を傷つけないよう祖父なりの気遣いだったのでしょう。祖父にとって初孫である私に目新しい経験をさせることに喜びを感じていたのだと思います。

食卓を囲むということは、単に食事をすることを意味するものではありません。食に関わる人生の色々な出来事や感動を伴ってこそ美味しく感じ、味は思い出とともにいつまでも脳裏に刻み込まれているということを、ようやく分かってきたような気がしています。

2018年10月01日「全ての医師が健康的に働ける職場を目指して」

東京医大が「出産・育児で長時間勤務ができなくなる」として、女性を合格しにくくしていたことが判明して以来、医師の働き方を巡り議論百出しています。当院も現在医師数160人中女性医師が51人(32%)勤務しており、育児中の医師も18人います。他の病院と比べると比率は高いですが、諸外国に比べるとまだまだ低い状況です。そこで女性が生涯を通して働く環境整備について考えてみました。

最も重要で最も困難なことは全スタッフの意識を根本的に変えること、特に男性医師の意識改革だと思います。私は45年前の昭和48年(1973年)に医師になりました。研修医時代は指導医から「一人前になりたかったら、誰よりも早く病院に来て、誰よりも遅く帰れ」と言われたものです。患者のために長時間働くことは美徳だとされていました。結婚しても、育児は全て妻に任せきりでした。家族団欒の記憶がほとんどありません。現代の女性医師に聞いても“子育ては自分がやっている。夫には時間があれば手伝ってもらう”いわゆる「ワンオペ」だと云います。私的な話で恐縮ですが、先日、娘夫婦に赤ちゃんを授かりました。彼女の夫は一般企業で働いていますが、3ヵ月間の育児休暇を取り、育児をするそうです。これまで働く女性の大きな課題であった「仕事と家庭の両立」という問題は、男性が家事育児に関わることで性別に関わらず認識されるようになり、仕事のあり方も変わってくるのではないかと思います。私も含めて大きな遅れがある医師の意識を変える必要があります。

また、患者さんや市民の人達の協力も必要です。私たちの病院も以前は主治医制を用いていました。受け持ちの患者さんの状態が悪くなると昼夜に問わず主治医が呼び出され、病院に駆けつけねばならず、24時間365日拘束されていました。現在はほとんどの診療科がチーム制です。数人でチームを作り担当者が対応します。そうすることで非担当者は仕事から離れることができ、家族や友人と余暇を過ごす事ができます。しかし、患者さんの中にはいつも決まった医師に診て欲しいと要求する方もいます。病状の説明に関しても、家族の方の都合を優先していましたが、緊急時などの例外を除いて勤務時間(9時から17時)に限らせていただいています。また、軽症の患者さんはかかりつけ医で、重症の患者さんは病院でという医療機関の役割分担をもっと市民の方に理解していただくことも必要です。

医師の長時間勤務を減らしていくためには、医師も家族を持つ普通の市民であり、心身の健康を保てなくては良い仕事はできないとの認識を、働く本人はもちろん、患者さんをはじめとした周りの方々にも理解していただくことが不可欠です。私生活のほとんどを犠牲にしてまで行わざるを得ない長時間労働は、心ある若者を医療から遠ざけてしまいかねません。また他の職種に「任せられる仕事は任せる」ことも大事です。当院では書類の下書きやデータの入力等、医師でなくともできる仕事は医療クラークが行っています。

多くの医師が交代で勤務できる体制を整備することで長時間勤務を減らし、両親ともに育児に関わり、心身ともに健康な状態で患者さんに接することができる環境を作らねばと思っています。

2018年09月01日「他人のたばこ(副流煙)を吸わされる理不尽さ」

本邦の2007年の非感染性疾患および外因による死亡数への各種リスク因子の寄与(男女計)

心臓病予防について一般市民の方にお話をする機会があります。カロリー過多、食塩の過剰摂取、運動不足、コレステロールの摂り過ぎ等の弊害について実例を挙げて述べ、生活習慣の是正を促しています。生活習慣の中でも喫煙は本邦の死亡原因の中で最も高い危険因子とされ、年間13万人余が癌、心臓病、呼吸器病で死亡しています(右図:高血圧治療ガイドライン2014、P11、日本高血圧学会)。受動喫煙に限ってみると、年間約1.5万人が亡くなっていると推計されています。自らの喫煙で自らが危険にさらされるのならまだしも、他人が吸うタバコで知らないうちに健康が蝕まれる理不尽さには医師としてもやりきれない思いがあります。

2020年のオリンピック、パラリンピックに向けて、受動喫煙法が制定され、これで「屋内全面禁煙」という世界標準にようやく追いつき、受動喫煙の被害も殆どなくなると喜んでいました。しかし、7月18日に成立した“改正健康増進法”は、現在ある飲食店の約55%の小規模な店舗に対しては例外処置が適応され、喫煙が許されるという“骨抜き”法案になってしまいました。たばこ産業や飲食業へ配慮した自民党内の“たばこ族”の暗躍の結果と言われています。私の住んでいる小松島市を“たばこを売らない健康な町”にしたらと幾度か市役所の幹部の方に提言したことがあります。返事は"たばこ税が入らなくなる"、"たばこ小売業の人の生活を奪う"という本末転倒の答えでした。

日本が外国に比べ受動喫煙対策が進まない理由はいくつかあります。最も大きな原因はたばこに対して寛容な人が多く、受動喫煙に対する「健康権」の認識が甘いことです。過去にたばこを吸っていた人は、引け目を感じてか周囲に禁煙を言いづらい、職場で上司が吸っていたら「吸うな」と言えない、県庁、市役所等の行政機関や児童福祉施設ですら喫煙コーナがあり利用者も撤去の声を出さない、幼児を乗せた母親が狭い乗用車内で喫煙していても注意をしない---。受動喫煙に寛容な例をあげれば枚挙にいとまがありません。

さらに、近年注目されている"サード・ハンドスモーク"の悪影響が殆ど認識されていないことです。これは「残留受動喫煙」、「三次喫煙」ともいわれ、禁煙車のはずのタクシーに乗るとたばこ臭く感じる、ベランダで喫煙したお父さんが部屋に戻ってくるとたばこの匂いがする等です。部屋の壁やカーペット、喫煙者の服、髪の毛、呼気に含まれる有害な物質が発がんや呼吸障害の原因になることが立証されています。
もっと深刻なのは、財務省や日本たばこ産業(JT)が絡んでいるたばこ税の問題です。財務省が示した2016年度のたばこ税収入は2兆1,154億円とされています。一方、厚労省研究班はたばこの害による2015年度の総被害額は2兆500億円であったと推計しています。この中には受動喫煙に対する医療費3,300億円も含まれています。金額だけの収支でも殆ど差がなく、何の関係もない受動喫煙者約1.5万人を含む尊い人命が年間13万余人も奪われるたばこ政策をこのまま放置することは許されません。
先日JTが発表した2018年の成人男子の喫煙率は27.8%でした。かなり減少してきたとはいえ諸外国に比べると未だ高く、約1400万人が喫煙しています。たばこは自分だけでなく他人にも深刻な害を及ぼすことをこれからも啓発しなければと思っています。また、たばこに対してもっと厳しい雰囲気を社会全体が持つようにしなければならないと考えています。

2018年08月01日「リーダーの条件」

モノレール浜松駅のビルに大きな本屋さんがあります。時間があれば立ち寄って、立ち読みしたり購入したりすることも東京出張の楽しみのひとつです。先日、「文藝春秋八月号」の表題に「特別授業、半藤一利×池上彰」の見出しを見つけ、パラパラと目を通しました。本題は「東工大・池上ゼミの特別授業公開、昭和史から学ぶリーダーの条件」で、大変興味深いものでした。半藤一利(はんどう・かずとし)氏は「日本のいちばん長い日」*の原作者です。この本は1967年、2015年と二度にわたって映画化され、後者では本木雅弘が昭和天皇を演じて話題を集めました。この原作者が当時のリーダーをどのように見ていたかも興味があったので購入しました。

半藤氏は日本の政府や軍部がなぜ早い段階で太平洋戦争の終結を決断できなかったか疑問であったと述べています。あの戦争で死んだ日本人310万人のうち100万人以上は敗戦が明らかになった昭和20年に死んでいます。ソ連が日本に宣戦布告をすることを決めたヤルタ会談**(昭和20年2月)の情報は、実はいくつかのルートから日本の軍指導者に届けられていました。しかし、「ソ連は裏切るはずがない」という手前勝手な希望的観測が優先されました。日本人の思考の特徴として、起きたら困ることは「起きないのでないか」そして「起きないに違いない」、最後には「絶対に起きない」と導くことがあることを承知しておいた方がよいと話しています。東日本大震災の福島原発事故でも、津波によって電源が喪失しメルトダウンが起きたことも同様な思考過程で"あり得ない"と片づけられていました。人は自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価してしまう認知特性を持っており、これは正常性バイアスと呼ばれています。「現実を直視しリアリズムに徹する」ことがリーダーの条件としてあげられていたことは得心がゆくところです。

正常性バイアスの落とし穴

二つ目の条件として、「部下に明確な目標を与えること」を上げています。その悪い例として山本五十六大将が例に挙げられています。彼は何もかも自分の中にため込んで、部下に目標を明らかにできないタイプの人間だったそうです。真珠湾攻撃の際、より好条件で早期講和に持っていくためには艦隊だけでなく、石油タンクや港湾施設も徹底的に壊滅する必要があると考えていたのに、部下に明確にそのことが伝えることができず、結局は戦艦の沈没だけに終わってしまいました。本心は敵機動部隊を誘い出し全滅させることであったミッドウェイ海戦においても、「ミッドウェイ島を攻略せよ」というあいまいな命令で、明確な目的が伝わりませんでした。上に立つものは自分だけ目標が分かっていてもダメだという典型例だとしています。

三つ目は「常に権威を明らかにせよ」です。トップに立つものは常に“自分はここに居るぞ”と存在を明らかにし、最終責任は自分が取るという責任の所在を明らかにする必要があります。戦争中の日本は、トップが一体誰であるのかが明らかでありませんでした。首相なのか、大元帥なのか、天皇なのか曖昧模糊とした状況でした。今日でも、トップが雲隠れを続ける日本大学のアメフト問題、不祥事続出でも相応の責任を取らない財務大臣と枚挙に暇がありません。

その他のリーダーの条件として、半藤氏は「自分自身で決断すること」、「情報は自分の耳で聞け」、「部下には最大限の任務遂行を求めよ」を上げています。いずれもいまの時代にも通じるものなので、私自身をチェックするキーワードにしていこうと思います。

*「日本のいちばん長い日」半藤一利著 文藝春秋社
** ヤルタ会談:1945年2月4日~11日、当時のソ連クリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊のリヴァディア宮殿で行われた、アメリカ合衆国・イギリス・ソビエト連邦による首脳会談。第二次世界大戦が終盤に入る中、ソ連対日参戦、国際連合の設立などが協議された。

2018年07月01日「新緑の奥青森を訪ねて」

6月初旬の週末を利用し、八甲田、奥入瀬、十和田湖を訪ねました。新緑の眩しいこの時期にこの地域を旅することは長年の願望でした。美しい風景を堪能することだけではありません。もう一つの目的は、戦争にまつわる2つの悲劇の現場を訪れたいとの思いがありました。青森市から八甲田山麓ロープウェーまで約30km、車で1時間弱の距離です。もちろん全線舗装道路で快適なドライブでした。そのロープウェー山麓駅から4.5kmのところに雪中行軍遭難記念像がありました。その歴史的な出来事の現場は八甲田山系の山奥での出来事と思っていましたが、あまりに人里に近く、意外に感じました。

雪中行軍遭難記念像(青森県観光情報サイト)

1902年(明治35年)、ロシアとの戦に備え青森の陸軍歩兵5連隊が雪中行軍の演習中に遭難、210名中199名が死亡した日本の冬季軍事訓練中最大の悲劇が起こりました。新田次郎はこの事件を素材に「八甲田山 死の彷徨」(新潮文庫)を著しました。映画「八甲田山」は原作を超えた名画です。北大路欣也演じる青森連隊神田大尉(中隊長)と、八甲田の反対側からの別ルートを行軍した高倉健演じる弘前連隊徳島大尉(中隊長)とを計画性、組織性、指導力等で対比させており、指導者のあるべき姿が描かれています。前者は気象条件を熟知せず、稚拙な装備で、指揮系統が不明瞭で情報や認識が不足したまま大人数でことを起こし、精神論だけで行動する昔の軍隊そのものでした。後者は38名という少人数。周到な計画をたて11泊12日の行程で完全踏破しました。映画の最終場面で、神田大尉は「天は我々を見放した」と叫びます。この一言で多くの兵が生への努力を諦めました。諦めの言葉を発するのは指揮官として最も避けるべきものだと思ったものです。映画の最後には、平和な時代になりロープウェーの窓から八甲田の山並みを眺める年老いた元隊員の姿が描かれています。私も彼と同じロープウェーに乗り、残雪をあちこちに残す緑の山々を見ながら116年前の人達の無念を思い冥福を祈りました。

十和田湖(十和田湖国立公園協会サイト)

八甲田山から約1時間で美しい十和田湖畔に着きました。余り知られていない話ですが十和田湖にも戦争にまつわる悲しい出来事があります。1943年(昭和18年)9月27日、秋田県の陸軍能代飛行場から青森県八戸飛行場へ飛行中、この湖に双発高等練習機が不時着沈没しました。この飛行機には16歳~18歳少年兵3名と整備兵1名が搭乗しており、救助されたのは少年兵1名のみでした。亡くなった少年兵の一人は広島県の出身だったそうです。戦争末期の交通事情の悪い中、広島からはるばる十和田湖畔まで来た母親は、長い間立ちすくんでいたといいます。この飛行機が2012年9月にほぼ原形のまま引きあげられ、現在は三沢にある県立三沢航空科学館に展示されています。私も科学館まで足を延ばし、実際に飛行機に手を触れることができました。薄いジュラルミンでできており、なんて脆い飛行機なんだろうと思いました。物資不足とエンジンの弱さでこのようなものしか作れなかったそうです。一緒に見学していた中学生が真剣に説明を聞いていたのが印象的でした。

それにしても新緑の東北の初夏は魅力的でした。奥入瀬峡は木々の緑のトンネルと清流が延々と14kmにわたり続きます。車道と遊歩道が並行して走っており、思い切り森林浴を楽しめた"当たり"の旅でした。

2018年06月01日「医業は伝える仕事」

入社当初は不安や緊張した様子が見られた研修医や研修看護師たちも、仕事にやっと慣れてきたらしく顔つきが引き締まってきました。私は研修医の教育係であるとも自認しています。この時期の彼らに習得してほしいことの一つは「医業は伝える仕事」と認識し、そのスキルを磨くことです。患者さんや家族に対して、病状をはじめ、今後どのようなことに気をつけて生活していただくかなど、限られた時間で分かりやすく的確に伝える必要があります。また、チーム医療のチーフとして、誤解が生まれないよう正確に指示を出す必要があります。これは医師だけではなく医療に携わる全ての者に必要なスキルだと言えます。

伝え方の基本は、結論→根拠→補足説明の順に話すことです。すなわち重要なことから順番に伝えます。一例をあげると、循環器内科チームは毎朝短時間のミーティングの中で、この24時間内に緊急入院してきた患者さんの情報を皆で共有するため、担当医がプレゼンテーションを行います。多いときには10人近くの患者さんの情報が共有されます。患者さんの全体像が把握できるように正確にかつ簡潔に、可能なら30秒以内で話す必要があります。

伝えるスキル

急性心筋梗塞の患者さんの情報提示例をあげてみます。「57歳、男性で発症3時間程度の急性下壁梗塞の患者さんが緊急入院しました。右冠動脈の中位部が閉塞していましたが、ステントを留置し完全開通できました。他の部に病変は認めません。心筋梗塞の大きさは中等度です。不整脈などの合併症もなく経過は良好です」という説明だと完璧です。しかし、研修医はなかなか最初からそうはいきません。目の前の事実を全て話さねばとの思いが強く、どんな症状で、こんな生活習慣をしていた、血液検査はどうであった、心電図はこんな所見があった・・・と延々と述べてしまいがちです。聞いている上級医たちは“結局何が言いたいの?”と不満顔になります。

短い時間で情報を的確に伝えるためには、医学知識の習得はもちろんのこと、患者さんの状態をその知識と対比させ、頭の中でまとめ、重要度の順番に整理、かつ相手の年齢、背景や知識に応じた分かりやすい言葉で話すことが求められます。こうしたことは一朝一夕には身につきません。相当な期間をかけ、厳しい鍛錬が必要です。また、いつも相手の立場に立って物事を考える"癖"も大事です。相手を思いやり、相手のことを考え、何が聞きたいのかを意識して話す習慣をつけることが重要です。

目の前にいる若い研修医たちが「医業は伝える仕事」であることを意識し、このスキルを鍛え、プロフェッショナルに成長してくれることを願っています。

2018年05月01日「季節のめぐりと暦」

毎日朝夕の徒歩通勤に使う小松島港、しおかぜ公園、遊歩道は季節の移り変わりを知らせてくれます。冬から初夏の今の時期にかけては、荒々しかった港湾内の波が穏やかになり、そして今は"のたりのたり"としています。花々も山茶花が散り始めると、椿が膨らみやがて桜が咲き、今は色とりどりのツツジや小松島市の花であるハナミズキが満開です。暦に頼らなくとも、冬が過ぎた、春がやってきた、今年の初夏の訪れは早いなど「自然暦」によって季節が実感できます。

2月12日付、毎日新聞朝刊のオピニオン欄に美学者、金田晉(かなた・すすむ)氏の「旧暦併用のススメ」というインタビュー記事が掲載されていました。いま普通に使っている太陽暦(グレゴリオ暦)を「新暦」と呼ぶのに対し、旧暦というのは太陽、地球、月の運行を基準とした太陰太陽暦で、幾種類かありますが、最も精度の高いものが幕末に作られた「天保暦」だそうです。また、啓蟄(けいちつ)、穀雨、芒種(ぼうしゅ)、霜降(そうこう)など農耕や漁業に欠かせない季節の節目を示す二十四節気(当ブログ2012年9月「院長のぼやき」参照)も取り入れられました。しかし、現在の新暦に旧暦の二十四節気や節句、雑節をそのままあてはめたことで実態とそぐわないことが多々あります。例えば旧暦の七夕は、今年は新暦の8月17日の夜にあたります。この時期は彦星(わし座のアルタイル)と織姫星(こと座のベガ)が夜空の高い位置にあり見やすいのですが、新暦の七夕にあたる7月7日は残念ながら梅雨空です。このように先人達が築きあげた季節感や風土に関する文化は、旧暦を知ることで味わうことができます。

また金田氏は旧暦の生命線ともいえる「月」に、日本人の関心が薄れていることを嘆いています。日本文学は、源氏物語を始めとして月に関する描写が実に多いことが特徴的です。英語では"moon"でしかない月が、朧(おぼろ)月、寒月(かんげつ)、望月(もちづき)、十三夜、眉月(まゆづき)等、異なった観点からの表現が豊富にあります。国際基準として太陽暦は必要不可欠ですが、旧暦を意識した生活を取り入れることで、日本の豊かな四季や自然を楽しむことにもつながると金田氏は述べています。現在でも韓国や中国をはじめとしたアジアの人達はうまく旧暦との併用を行っています。中華圏で旧正月を祝う春節(今年は新暦の2月16日)は、その時期に休みを利用して多くの外国人観光客が訪れるようになったことで日本でも知られる様になりました。また、中国ではバレンタインデーを2月14日の他にも祝う慣習があるようです。旧暦の7月7日は七夕伝説にちなんで情人節(=恋人の日)と言われ、その日は大きな花束を持った男の子達を街中で見かけるそうです。旧暦を意識した生活を取り入れ、アジア人としての共通文化を共有することで、より円滑なお付き合いができるのでないかと思います。

日本の「天保暦」が優れていることは冒頭で書きましたが、その前身である貞享(じょうきょう)暦を作った渋川春海の苦労を描いたのが「天地明察」(冲方丁著、角川文庫)です。朝廷の持ち物であった暦を庶民にも役立つものに変えていく苦労を水戸光圀や幕府重臣の保科正之を絡めて書かれています。暦とはいかなるものなのかを理解するうえでも非常に興味深い本でした。自然暦、旧暦を日常生活の中で意識することで、若い人たちにも季節を楽しんでほしいと思います。

2018年04月01日「元気で長生きして欲しい」

2015年 平均寿命ランキング

昨年末から今年にかけて厚生労働省から、2015年平均寿命ランキングと2016年健康寿命ランキングが相次いで公表されました。日本が世界に冠たる長寿国になって久しいですが、国内でも地域によって差があることが分かります。平均寿命の上位には滋賀県や長野県がきますが、私が注目したのは男女とも最下位である青森県です。5年に一度発表される平均寿命のランキングで青森県は男性が9回連続、女性も5回連続最下位という驚くべきものです。

この発表がなされた昨年12月13日、私は会議でたまたま青森県八戸市に滞在していました。テレビや新聞はこぞってこの話題を伝えていました。県保健福祉課の方は「高血圧が多く、食塩の過剰摂取を防ぐため昆布等のダシ味の普及に努めている。少しずつ成果は上がっている」とインタビューに答えていました。しかし、知り合いの病院関係者に聞くと、話はかなり違っていました。“青森県民は大のラーメン好き。朝からラーメンという人も多い。スープは他県のものと比べると塩辛いが、それでも足りずに醤油を付け足す人がかなりいる。水と無料サービスの米飯で塩気を中和させつつ食べる味が何とも言えない。また、多量飲酒者が多く喫煙率も高い。何よりも問題なのは、「色々制限してまで長生きしたくない」という健康意識の低さだ”と話していました。実際、厚生労働省「平成28年国民健康・栄養調査結果の概要」によりますと、BMI、食塩摂取量、喫煙習慣(男性)、歩数(女性)は全てワースト10に入っています。

2016年 健康寿命ランキング

これを対岸の火事と笑っていられないのが徳島県です。徳島県の糖尿病の死亡率が長い間ワースト1であったことを思うと他人ごとではありません。平均寿命は男性33位、女性40位で全国平均よりも各々0.43歳、0.33歳短いのです。さらに健康寿命(健康上の理由で日常生活を制限なく送ることができる期間)に至っては男性がやっと最下位を抜け出しワースト3位、女性はワースト4位です。先述の調査結果ではBMIがワースト16位(男性)、歩数はワースト6位(男性)、15位(女性)と歩かない実態が反映されています。これは糖尿病による死亡率が高いことにもつながっていると考えられています。

予防医学の重要性を説く中国の小話に春秋・戦国時代(B.C.770~B.C.221)に扁鵲(へんじゃく)という名医の話があります。彼は触診の創始者としても有名であり、二人の兄も医師でした。あるとき魏の文王が「おまえ達三兄弟のうち誰が一番名医か」と尋ねました。扁鵲はすぐさま「長男が一番、次が次兄、私は一番劣る」と答えました。王は「なぜ二人の兄は有名でないのか?」と聞きました。扁鵲は「長男は患者が病気になる前に本人も気づかないうちに治す。次兄は病気がまだ軽いうちに治す。私は病気が重くなってからしか治せない」と答えたというものです。

徳島県医師会が中心になって「"もう1000歩"運動」を行っていますが、行政や自治会等が一体となってこうした運動を進めたらより高い効果を得られるのではないかと思います。私たちも徳島健康フォーラムの事業である「生活習慣セミナー」を毎年5月と9月に開催し、医者と一緒に歩くイベントを15年以上続けています。歩くことは肉体的運動のみならず、脳の活性化にもつながります。
県民の皆さんの健康長寿を祈念しています。

毎年開催「生活習慣セミナー」で参加者が医師らとウォーキング
毎年開催「生活習慣セミナー」で参加者が医師らとウォーキング
院長プロフィール
ひあさ・よしかず
ひあさ・よしかず
1973年鳥取大学医学部卒。同大学付属病院にて臨床研修後、徳島大学大学院卒。北九州市小倉記念病院循環器科医長を経て、87年小松島赤十字病院(現・徳島赤十字病院)第三循環器科部長、2002年副院長、2011年より院長。医学博士。日本のカテーテル風船治療の草分け的存在である。